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ハタラキアリの徒然日記

働く中で気づいたことについて書くブログです。仕事での「気づき」やビジネス書の書評などを書いています。

身近さ

「身近さ」が思考に与える影響について考えてみました。

友人と事業を考える中で、「自分たちが学生だから学生向きのサービスを」という発想にとらわれがちなことに気づきました。なぜこのような思考になってしまったのでしょうか。

身近さとは?

空間的に身近なものと時間的に身近なものがあると思います。

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空間的と時間的の2つでおそらくMECEですね。*1

空間的に身近なものとは、通学や通勤で足を運ぶ場所、出身地、昔住んでいた場所、知り合いが住んでいるところなどです。場所だけではなく人もそうですね。親しい人の考えは空間的に身近なものだといえると思います。

時間的に身近なものとは、現在または直近にかかわりのあったものです。人とのかかわりの中では、「1週間前にあった講演会で聞いた内容」などが時間的に身近なものになるでしょう。

身近さの恐ろしさ

就職活動では、応募した会社に入社したい理由を聞かれます。志望動機というやつです。

たとえばその中で、身近さの恐ろしさが垣間見えます。

「大学で経済学を学んだから金融業に関心を持ちました。」

「小さいころに海外に住んでいたので海外で仕事をしたいです。」

「地方出身なので将来は地方創生にかかわる仕事をしたいです。」

どれも、身近さに大きな影響を受けていますね。直近に勉強して時間的に身近な経済学、過去に住んでいたため空間的に身近な海外、高校生まで住んでいたため時間的にも空間的にも身近な地方・・・。

どれもこれも、冷静になって考えたわけではなく身近だったから出てきたものだと思います。

しかし、こういった身近さはいつまで続くのでしょうか。

新しくプログラミングの勉強をはじめたら経済学への身近さはなくなってしまうかもしれませんし、東京での生活が長くなると地方への身近さは失われてしまうかもしれません。

身近とは永続的なものではないということでしょう。

身近さの最も恐ろしいところは、気づかぬうちに忍び寄ってくるくせに、新しく身近なものができたらあっという間に消えてしまうところです。

一時的な感情であるはずの身近さによって、将来に影響のある重大な意思決定が揺さぶられてしまっているのです。

身近さに縛られると思考が浅くなる

脳科学などのことはわかりませんが、人間は身近な項目から順に検討していくのだと思います。

身近さの影響を逃れるためには、まず身近なものを検討して、次に身近でないものを検討して、最後に意思決定をするというプロセスを踏むと良いのではないでしょうか。

学生である私が事業を考えるときも、まず学生向きのもの、次に若手社会人向きのもの、その次に年配の社会人や主婦など自分たちから遠いもの、の順に考えていくと、最初に考えた学生向きのサービスよりも良いものが作れることがあります。

このように、身近さによって検討する範囲が狭まり、思考が浅くなってしまうことがあります。

きちんと頭を使うためには、身近なものをそっと遠ざける必要もあるのです。

*1:某ゲームでも時・空・幻の3つが上位属性となっていましたが、現実には存在しない幻を除くと時間と空間の2つになります。